私たちの中には、たくさんの「いのち」が流れています。
両親、祖父母、曽祖父母……そのすべての存在の連なりの先に、「わたし」がいます。
つまり、自分という存在そのものが、先祖のあらわれでもあるのです。
現代では「墓じまい」や「無縁仏」という言葉をよく耳にするようになりました。
お墓がなくなっても、手を合わせる場所がなくなっても、
本当の意味での「供養」は、消えるものではないと思うのです。
なぜなら、
「自分を大切にすること」こそが、最も確かな先祖供養だからです。
Namaegraphy(名前の書)は、
自分という存在に“ありがとう”を伝えるための、小さな祈りのようなアートです。
名前は、いのちのバトンのように受け継がれたもの。
書として目に見えるかたちにすることで、
「わたしの中に確かに流れているもの」に、そっと手を合わせることができます。
お墓がなくても、
神社や仏閣に行けなくても、
誰かに頼らなくても。
自分の名前に手を合わせるだけで、
あなたの中のいのちの系譜は、そっと喜ぶはずです。
【まとめ】
「自分を供養することは、先祖を供養すること。」
この新しい感覚が、これからの時代に必要とされていくかもしれません。
Namaegraphyは、その“感謝”のかたちをそっと照らします。